モノを大事にしたい、という想いは、自分への願いでもあります。
そんな願いをこめて、今日は私のとても大事にしているものを紹介してみます。
工房アイザワのホーローハンドルお玉。
このお玉の魅力は一体成形で継目がなく衛生的なところ。
そしてこの「継ぎ目がない」という特徴が、なんともいえない美しいラインを生み出しています。
これってすごい技術のようです。
だってステンレスで継ぎ目がなかったら普通把手が熱くなるでしょ。
そうならないために把手部分は空洞で熱が伝わりにくくなっています。
液体を掬う「お玉」の部分は正円ではなく楕円で、鍋などの縁に沿いやすい形です。
う~ん、とにかく綺麗です。
そしてポイントはやっぱり、「手に馴染む」ということ。
この工房アイザワという会社にはいろいろと代表的な作品があり、
中でもうるし塗りのカトラリーのラインが
1986年にニューヨーク近代美術館永久保存デザインコレクションに選定されている
ほど、デザインには定評のある日本の誇る工房です。
そしてそんな工房アイザワのお玉と私との出会いは?というと、ずばり
「一生モノのお玉にこだわって調べに調べ、探していたら出会った。」
ただそれだけです。
うーん、行き着くべくして行き着いたのではないかしら。
私達は消費社会にどっぷりと漬かっています。
そこから完全に抜け出すのは容易なことではないし、
いくらモノを大切にしろと教えられても、大量に生産されたモノに対して
一つ一つどれだけ愛情を注げるかと言ったら、やっぱり難しい。
私も捨てたいモノをたくさんたくさん持っています。
そしてつい気軽に買ってしまったモノもたくさんあるし、
これからゼロにするのはとてもとても長い道のりです。
でも、せめてこれから買うもので、これから先ずっとつきあっていくものは、本当に愛せるものを選びたい。
そういう風に意識が変わり始めてから、何年も経ちました。
これのおかげで、みそ汁一杯つくるのだってものすご~くシアワセな気持ちになれますし、
これを使うたびに、モノの作り手と自分、そして目の前の料理との関係性(つながり)を感じることができるし、
モノを大切にすることはこんなに自分のシアワセにつながるんだな~と実感することができるのです。
偽善ではなくそれらを実感として自分に内包することが出来たのは、
この愛するお玉のおかげ、という部分がとても大きいです。
「工房アイザワのモノ造りとその姿勢」
モノづくりで忘れてならないことは、そのモノがなぜ「存在するか」ということです。なぜ「必要か」と、言葉を置きかえてもよいでしょう。それを原点として、たえず原点にたちもどり、そのエキスをどうくみとるかは、つくり手の「感性」です。
モノづくりの過程で必然的に、機能と美が要求されます。しかも機能と美は、一卵性双生児のように、それぞれ切りはなせるものではなく、機能的に豊かなものは美しく、又、形の美しいものは機能的である、という原則から、のがれることはできません。これをもう少し具体的に表現すれば、装飾性を削ぐ作業に徹する、ということになります。削ぐことで、モノに生命をふきこむ、といってもよいでしょう。
工房アイザワHPより。
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